徳川家光公絶賛 丸亀藩曲垣平九郎 出世の石段「大凧」展 ― 2021.12.29(水)~2022.2.28(月)
| イベントレポート
丸亀ゆかりの歴史的場面を描いた大凧が、マルタスのお正月を華やかに演出しました。2021年12月29日(水)から今年2月28日(月)まで、1階オープンラウンジで「徳川家光公絶賛 丸亀藩曲垣平九郎(まがきへいくろう) 出世の石段『大凧』展」が開催されました。主催した秋なすびさん(本名・吹田健児さん)は、丸亀市の広報スタッフを務めた作詞家です。約400年にわたって丸亀に伝わる歴史的逸話「平九郎の出世の石段」を子どもたちや若者たちとも共有したいと考え、今回の展示を企画されました。
*写真撮影の時だけ、マスクを外しています。
―「出世の石段」とは、どんなお話かおさらいの意味を込めて教えてください。
一言で表現すると「挑戦」です。江戸時代、徳川家光が東京の愛宕山を通りかかった際に、愛宕神社の急石段上に美しく咲いた梅を見つけ、家来に「あの梅を取ってくるように」と命じます。ただ、そこは傾斜40度ほどの急傾斜で、挑戦した者は次々に失敗してしまいます。絵本「曲垣平九郎―出世の石段」(講談社)にも描かれているのですが、馬がおびえてしまってうまくいきません。
そこに、「自分が挑戦しよう」と手を挙げたのが、丸亀藩の曲垣平九郎でした。やせこけた馬に乗った平九郎が成功するとは、だれも思いません。しかし、平九郎は馬が怖がらないように巧みに手綱を操り、見事、梅の花を手にするのです。
家光は「日本一の馬術の名人」と称賛し、平九郎の名前は全国にとどろいたそうです。急石段のように急激に名を挙げた平九郎にあやかろうと、今でも愛宕神社(東京都港区)には仕事の成功を願う参拝客が訪れています。私も実際に上りましたが、行き帰りとも怖かったですよ。
―400年ほど前の逸話ですが、香川県西部地区には、平九郎の活躍にちなんだ八朔団子馬(はっさくだんごうま)を家庭で飾る伝統がありますね。
今は下火になっているようですが、どの家庭でも、飾っていました。我が家は、香川県東部の出身なので、この習慣は全然知りませんでした。いまもJR丸亀駅構内に、大きな八朔団子馬が飾られていますが、少しずつこの伝統も忘れられようとしているようですね。もう一度、風習を復活させて盛り上げていきたいと思っています。
この話は、江戸時代の出来事ですが、今の時代こそ平九郎の心を倣ってほしいと思うんです。戦で血みどろになって活躍するような話ではなく、普段のお勤めのときに名を挙げたエピソードなので、平和な現代で子どもたちが成功するヒントにもなると思います。そのカギは積極性です。どんなときも、挑戦する気持ちを持ってもらいたいと思っています。
私自身、今回の展示を企画する前に、「マルタスで何かしたいな」と思っていて、市民活動登録を早い時期に済ませていました。大凧の展示をマルタスに相談した際に、「お正月に展示しよう」という話がまとまったのですが、スタッフの方からアドバイスをいただきながら、当初の提案よりも良い内容で開催できたと、ほっとしています。
―展示された大凧は、秋なすびさんの発案で制作されましたね。大凧を制作しようと思い立ったのは、なぜですか?
凧は大空に高く舞い上がり、その姿は出世をイメージさせてくれます。また、お正月というお祝いの季節に、みんなで子どもたちの成長を願って、空高く凧を上げることで平九郎の逸話を伝承していきたいと思いました。
旧知の和凧作家、小野善光さん(丸亀市在住)に相談したら快諾してくれまして、美しい色彩の大胆なデザインで、見事な大凧ができあがりました。急石段を登り切った愛馬を大きく描いていますが、パートナーの大切さも表現しています。大きさは、縦1・7メートル、横1・1メートルと大人が両手を広げたくらい。2018年に愛宕神社に奉納しました。
―秋なすびさんは、丸亀市の広報スタッフとして8年にわたって情報発信されていました。「発信」には、特別な思いがあるのではないですか。
発信することは大切にしています。私は作詞家ですが、歌も発信のひとつですし、情報の受け手になるだけでなく、これからも発信していきたいと思っています。子どもの頃から歌を作詞するのが夢でしたが、54歳の時に実現しました。その歌は、今回も展示していた愛唱歌「あぁ丸亀城」です。ここで、平九郎のことも歌っています。この歌詞を考える過程で、丸亀の歴史を紐解き、平九郎の逸話や八朔団子馬の伝統を初めて知ったのです。
実は、20代の頃は、旧長尾町(現在のさぬき市長尾町)の広報担当として、一人で広報誌の編集を任されて、様々な工夫をしていました。例えば、「ふるさとの木の葉の便り」があります。香川を離れて暮らす町出身者たちに、懐かしい場所の落ち葉を同封した広報誌を郵送していました。少しでもリアルな香川を感じてもらいたいという思いで、88番結願寺の大窪寺や小中学校などで拾った落ち葉を一枚一枚送って差し上げました。遠くブラジルに移住した出身者からの反響もあり、「あれこれ懐かしい思いにふけっている」という手紙も多数届きました。この取り組みは、全国の新聞に掲載されたり、大きな反響がありました(次の写真参照)。
また、今の言葉でいうとNPО法人のようなグループを作って、国際協力などの企画をしていました。時代を先取りしたような活動でしたが、少しずつ自治体がアイデアを採用してくれたこともあり、とにかく地元を盛り上げていきたい気持ちでした。
―意欲的に活動されてこられたのですね。秋なすびさんは、これからどのような活動を予定されているのでしょうか。
郷土発の文化活動を展開していきたいです。一つ目は、平九郎の成した積極性を子どもたちに伝えていきたい。二つ目は、作詞家でもあるため、全国のご当地ソングを作って応援したい。三つ目は、その歌を出身者に歌ってもらうところまで盛り上げたい。既に、郷土の歴史など深くリサーチする活動を始めていて、発信の準備を進めています。また、平九郎の大凧を展示する場所も随時探しています。
私も含めて、地元のことは意外と知らないものですが、「金毘羅さんや丸亀城はいつでも行ける」から行かないのは、もったいないです。早速、今日でも明日でも足を運んでみて、「歴史旅行」するのも楽しいですよ。丸亀城から瀬戸内海を眺めながら、ここから海の往来を監視していたんだなって思うだけでも、想像が広がります。そんな体験から、マルタスで取り組みたいイベントのアイデアが見つかるかもしれません。そして、アイデアが浮かんだら、まずはマルタスで相談してみると良いです。そこから新たな一歩が始まると私も感じました。これからも今回の展示を「最初の一歩」と捉えて、もっと広がりのあるイベントを企画していきたいと思っています。
【編集部より】マルタスのイベントは、テーマや内容も様々ですが、シニア世代の活動者の方はまだ多くありません。現在64歳の秋なすびさんは、偶然知った歴史的逸話を次世代に伝えていこうとされていて、「シェアする」大切さを考えられていました。年代を問わず、時代のキーワードだと感じます。